失
やはり妻のお父さん・お母さんを怒らせてしまいました。
妻から、怒っていたことを聞かされ、茫然。
妻の実家の近くに住んでることもあり、普段から毎週末のようにご飯に誘ってくれるお父さんお母さんで、
自分の両親とまでは言わずとも、仲良く接してもらっていただけにショックを隠しきれませんでした。
ご両親から妻へ、
「家に帰っておいで」とまで言わせてしまった自分・・・。
「可哀そうに」とまで言わせてしまった自分・・・。
これから先も色々と失っていくのだろうか・・・
得るのは大変だが、失うのはこんなに
こんな自分にも明日は来る。
明日は、月次で忙しく5時半に起きて出社することに。
これからお風呂入ってお休みしようと思います。
向かい風
ついに伝えてきました。
妻の両親への、派遣社員転向の件。
前職が一部上場企業だったこともあり、
ご両親からは色々と期待や応援をして頂いていた分、
そのことを伝えた時のその場の空気は、間違いなくよどんでしまいました・・・。
想定していた最悪のケース
"いい年して、何甘えた事言ってんだ!娘をどうしてくれんだ!子供はどうするんだ!何を考えているんだ!・・・"
と、問い詰められる事はなかったですが心の中では、きっと思われていた事に違いないです。
理由はどうであれ、自分の周りの人に迷惑をかけてしまっていることを改めて反省し、結果を出すしかない、と再認識させられた今日の出来事でした。
まさに今、私は人生の逆境に立っています。
向かい風吹きまくり。
去年は、結婚することが出来た、転職をすることが出来た等、明らかに人生の追い風を感じて日々を過ごしていました。
しかし、いつのまにか気付いたら・・・といった感じで人生いつ風向きが変わるかはわからない事を実感しています。
どこかで聞いた事がある、ピンチはチャンスという言葉。
信じて、また明日から張り切っていこうと思います。
簿記講師面接へ
台風が近付いていて生憎の天気でしたが行ってきました、簿記講師の面接。
服装については具体的な記載がなかったので、
本当はラフな格好で涼しく挑みたかったのですが、
37歳にもなって服装で不採用になったなんて、絶対に笑い話に出来る自信がなかったので、ここは安全策でスーツで行ってまいりました。
上着とネクタイはしていかなかったのですが、
それでも相当暑い・・・
少し歩けば体が汗ばみそれを電車の冷房で冷やされるという、まさに風邪ひく環境が整っていました。
タオルを持っていき、体を拭きながら対応し、ようやく着いた試験会場。
緊張はやはりしました。
エレベーターで6Fに上がり、すぐある綺麗なオフィスでした。
係の女性の方が迎えてくれ、一室に案内され、机に向かい合う様に用意された椅子に。
私が席に座ると、その後にゾロゾロと人が集まってきました。
今回の面接というのは、全国で簿記だけではなく色々な講師の登録会というような趣のもので、今回の内容は、業務の説明と自己紹介と集団面接とで行う1時間30分というものでした。
総勢10名程でしたが、カメラの講師・フリーライター・中国語講師・ベトナム語講師など、それぞれの経験をお持ちの方々が集い、37歳の私が下から2番目(推定)というように割とご年配の方々が多くいました。本業との傍らといった感じでしょうか。
しかし、私は、講師の経験を積むための、絶対に負けられない戦い。負けられない。
そんな闘志を心に秘め、心配だった集団面接もなんとか終え、無事プログラムを終えて帰路に。結果は5日程で伝えられるようです。
ここで不採用になっては、話にならないので、ここはなんとか合格して先に進みたいと心から祈るばかり。
神様、お願いします。
明日は、奥さんのお父さんの片づけの手伝いへ。
という表向きの予定よりも、裏の重要ミッションとして、実は奥さん両親へ私が正社員を辞めて、派遣社員になったことを伝えてなく・・・
なんとか伝えられるよう、また明日も頑張ります。
簿記と私のこれまで
実は、講師になるために1級の勉強を目指そうとしたとき、
某大手専門学校の簿記の先生に
「ここで簿記講師になるためにはどうすればいいですか」
と尋ね、
「私の授業を受けて1級をとれればチャンスがあるかもしれない」
というやりとりから勉強をスタートし・・・
そして、無事合格したのですが、
半年程待ってもなかなか講師枠があかず、諦めて経理職にまた就職をすることになりました。
こう振り返ると、
長い間、簿記と関わってきたなあと感じます。
長々と書いてきましたが、
こうしてブログを書き始めたのは、
ブログを通じて簿記検定を目指す方々の力になりたい!
という想いからです。
そして、実は明日、簿記の講師の面接に行ってきます。
台風が少し心配ではありますが、張り切って頑張ってきたいと思います。
経理職との出会い それから
資格を諦めて仕事に就いてからも、
周りの友達から
「そんな資格はお前には無理だったんだよ」と、ネタにされ続け、
その場は笑いながらも、内心は悔しくて仕方ありませんでした。
そんな悶々としたサラリーマン生活を続け、
気付けば30代に。
経理マンとしての生活にも慣れてきたけれども、
やはり自分なりにでも、あれだけ資格へ時間と労力を費やした・・・
なのに、何も形に出来ていないことに悔しさばかりを感じたまま、これから自分に負目を感じたまま生活をしていかないといけないのかと考えた時・・・
やはりもう一度資格に挑戦したい!
そして、この悔しさや辛さを知った自分だからこそ、そんな想いをもつ人たちの役にたてる仕事をしたい!
これまで経験した会計士・税理士・簿記検定の学習で共通する簿記の最高峰である日商簿記検定1級を取って、簿記検定の簿記講師になって人の役にたてる仕事をしたい!
と、自分の心の底から出た気持ちに気付くことが出来たのがこの頃でした。
大学生の頃に、友達とノリで始めた会計士の勉強。
振り返ると、その時の決断は、
決断というより同調というような、自分の意志がなかった判断であったと感じます。
きっかけとしては大事かもしれませんが、やっぱり最後は自分の気持ち次第。
こうなりたい!
と、自分で心から思うことが、出来れば誰だってなれる。
こんな私が日商検定1級に合格出来れば、
それを人に伝える根拠を作ることが出来る。
そう思ってからは、後はひたすら勉強するだけでした。
経理職との出会い
今日は、少し暑さが和らいだ感じの一日でしたが、
湿気が多い一日だった様な気がします。じめじめしてましたね。
と言ってみたものの、私は経理職で一日中、冷房の効いた環境にいるので
ほとんど一日の天気にはあまり影響を受けない生活を送っております。
私は、大学を卒業してから、これまでずっと経理職で会社勤めを続けてきました。
その間に何社か転職はしてきましたが、
やはりどこの会社でも経理職は必要とされており、こんな私でもこれまで仕事を続けてこれたことは経理をしていたからと言っても過言ではないと思います。
なぜ私が経理職をすることになったのか・・・
親がしていた訳でもなく、数字が好きだった訳でもなく、経理にやりがいを感じてなった訳でもありません。
大学の在学中に自分の将来の仕事を考えた時に、手に職をつけたいと考えた事がきっかけでしした。
当時は就職氷河期であり、資格のブームでもあり、
凄い資格をとって、たくさんお金を稼いで勝ち組になる!
なんて、友人と言いながらノリで公認会計士の勉強を始めたのが、これまで経理に関わることになるスタートとなりました。
そんなノリでうまくいく訳がなく、
会計士の資格がどれほど難しいかもよくわからずに容易に手を出した結果、その後の人生を大きく変える程苦しむ事になりました。
4年程チャレンジしたものの、会計士資格を取れるどころか全く手応えを得ることも出来ず、諦めて就職をすることとなります。
しかし、就職してからも会計士を取得出来なかった事が悔しくて税理士の勉強や、日商簿記検定などに挑戦するも成果を出せず、
自分は何も出来ない人間なんだ・・・
と、自信を無くしていくことになりました。